おまめの雑記帳

とっても忘れっぽい私が、好き勝手にアレコレ書き散らかしつつ記録しておくための備忘録。

忘備録の存在まで忘れるトリ頭

ブログはじめたことすら忘れるとか忘備録どころの話じゃねえ

 

なんだかすっかり時間が流れて、気づけば一児の母。

波乱万丈の妊娠出産を経て、育休がゆるゆると終わり、もう仕事復帰だなんて信じられない時間経過の早さ。

職場のママさんたちを見ては「すげーなー私にはとてもじゃないけど両立とかできそうにないわ」とか思ってた私が、その働くママの仲間入りするだなんてなあ。

 

だいたい、私はぐうたら寝て過ごすことをこよなく愛していた生粋のダラけ人間なので、子どもを産んでからの子ども中心としたきちっとしたスケジュールがとてもとてもしんどかった。

特に3回食が始まってからは時間に追われている気分で、どんよりとした気持ちであった。

なんとかやってこれたのは、ひとえに子どもがとんでもなく愛おしいから。

自分以外の生命なので無責任なことできないというプレッシャーも多々あったけれど、可愛いからやってこれたし、これからもきっとやっていけるだろうと思っている。

今日は育休の最後の日だし、思いついたことを適当に書いていくことにする。

 

ちょうど1年前の今日、私は重症妊娠高血圧症候群からの緊急帝王切開で子どもを生んだ。早産だった。

出産したあと、コットに寝ている子どもの顔をまじまじと眺めて感じたのは、腹のなかにいる時には実感できなかった、プレッシャーだった。

ああ、他の赤ちゃんよりもずっと小さいけど、ほんとに人間が生まれてきた、これからどうしよう、本当に育てていけるのか、親としてやっていけるのか。

無責任に聞こえるかもしれないけど、自分で求めて妊娠したけど、実際のところ、生んでからその責任の重さがずしっと感じられたのだった。おせーよ!

マタニティーブルーもあったのかもしれないけど、生んで最初の1ヶ月は可愛さとか愛おしさよりも、義務感や責任感でひたすらお世話している感覚だった。

徐々に愛しさが溢れてきて、何があっても守ったる!私がなんとかしたる!って強く思えるようになった。子どもと実際に接した経験の積み重ねが、私を徐々に母にしてくれたような気がする。

腹のなかにいる時から徐々に母性が〜っていうけど、あれ本当なのかもしれないけど、全員に当てはまるわけじゃないね。妊娠中、初期は腹のなかの子が生きてるのか死んでるのかがひらすら心配で、中期は仕事してたら気付いたら終わってたし、後期は仕事と体調不良でぐったりして早く生んで楽になりたいって思ってただけ。

私がママよ〜とか胎教に良いもの〜とかマタニティフォト〜とか、そういう楽しそうなこと、もっとやっとけばよかったなあって思う。

子どもが低月齢期を超えたあたりから可愛さ爆発で、夜中の授乳で寝不足からの体調崩しとか、社会からの孤立感とか母乳トラブルとか家事の負担とか夫婦喧嘩とか、まあ問題はちらほらあったけど、愛しさで全部カバーできたわ。

出産直後から愛しさマックスな人、いるみたいだけど、そんなのめっちゃ幸せだろうなあ〜と思う。私もそんなだったら、新生児のころをもっと堪能したのになあ。

 

妊娠直後から母モード全開な人もいれば、私みたいに生んでからしばらく経たないと母モードのスイッチ入らない人もいるので、今もし悩んでいる人がいたら参考にしてほしい。参考にならんかもしれないけど。

あと、生んだ私でさえこんななんだから、お父さんがなかなか父モードになれないのもわかる。

 

思えばこの1年は、子どもに疲れ、子どもに癒され、特別何かがあったわけじゃないけど、でも毎日大事な発見があって、なんだか忙しなくて、でもゆったりしてて、ダラけられるところは全力でダラけてんのに何故か疲れている、みたいな、不思議な日々であった。

振り返ると、もっといろんなこと出来ただろって、時間をたくさん無駄にしたような気がする。でも、これが私にできる精一杯だったような気もする。

 

今日は全力でダラダラ過ごそう。